最終更新: 2021年9月19日
9月11日、ポレポレ俳句部を行いました。
すっかり朝晩も涼しくなり、あたたかい飲み物をいただくようになりました。
過ぎ去った夏を惜しむ私と、秋の涼しさを喜ぶ私と、早くも冬を想像して身構える私がおります。
「秋の水」、または「秋めく」「新涼」でした。
秋の水
秋になって澄み渡る水。大気同様、秋は水も清らかになる。
秋めく
周辺の景色や空気が秋らしくなってくることを言う。目や耳や肌で秋の訪れを感じ取った感慨。
新涼
秋に入ってから感じる涼しさのこと。夏の暑さの中で感じられる涼しさではなく、「涼しく過ごしやすい季節」になってきたことをいう。
引用「きごさい歳時記」
ある光景を詠んだ方に、解釈に迷って思わず「句の真意は何ですか」と尋ねたのですが、そんな私に、薬夏さんは静かに次のようなことをおっしゃいました。
この場ではともかく、もしかして作者によっては全てを説明することを好まない方もいるし、中には聞かれたくないこともあるかもしれない。
はっきりしない情感を句にする場合もあるし、さっと説明してしまえるのであれば、そもそも俳句にする意味ないやんって方もいるでしょう。
それぞれに鑑賞を楽しみ、作者に心情を尋ねるのは最終手段にしてもいいかもしれませんよ、と。
なんとなく自句自解をしてもらうのが当然に感じてしまっていましたが、お話いただいてはっとしました。解釈したものの正解を聞くような感じになっていたのかもしれません。
鑑賞場面で、他の方の解釈に感じ入ったりしたことも思い出し、それぞれに感じてよいのだと再認識しました。多義的に読むことができることで、いろんな立場の人に響く、それも俳句の魅力なのだと思います。
(といいつつ、自句自解を聞くのは鑑賞の延長にある楽しみの一つでもあるので、自分なりに解釈したのちに機会があればお聞きしたいと思います。)
題詠:「秋の水」「秋めく」「新涼」
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落ちし蜘蛛沈み静まる秋の水 (藤風)
逝く秋や湖面に映る赤々しき (スニーカー)
雨脚を結びをる苔秋の朝 (紙の舟)
図書館と家を結びし秋の水 (松竹梅)
想い人よさあ秋だ俺の季節だ (小4)
新涼や光に透けしりんの音 (のん)
水の秋あなたの踵硝子のやう (薬夏)