はじめての新年詠!ポレポレ俳句部 2021年1月

最終更新: 2021年1月22日

俳人は、正月に「新年詠」というものをするらしい…。


 


 
初心者すぎてこのレベルの私、初めての「新年詠」でございます。

これに備えてついに歳時記も買いましたが、新年って1ヶ月もないのに季語多い~。

また、どうやっても使うことが難しそうな語も多く(馴染みのない慣習や品、ローカル希少行事など)、それが面白くて結構眺めていました。

今回の俳句部参加の方も、「新年詠」は初めてという方が多かったようです。

みなさん初めてながらも、それぞれの色の出た作品が並び、感心したり、ほっこりしたり…。鑑賞もとても楽しめました。


 

「新年詠」に何を詠む?


 

参加者の方から「新年詠なのに、さみしい句を詠んでもいいのでしょうか」と質問があり、講師の薬夏さんが話してくださいました。

「たしかに新年詠は、時期柄「寿ぐ」内容の句が並ぶ傾向はあります。

ただ、新年といっても、この世は常にそれがおめでたい人ばかりでもありません。

そういった視点や、また、さみしさのような「心のふるえ」に気づいたことなど、無視しなくてもよいのでは。
 

人それぞれいろいろあってよい。自分に素直に詠むのがいちばんです。」


 

とお話いただきました。
 

新年って特別なイベントのようだけれども、日常の続きであり、でもひとつの区切りでもあって…。

意気込み過ぎず、心のままに詠みたいものです。(もちろん人それぞれです)


 


 

無名の強さ


 

話の中で、「句の作者を知っていることが、どう鑑賞に影響するか」という話題から、

「詩は無名が良い」


 
ということばを知りました。

調べますと飯田龍太という俳人のことばです。


 

作者がわかって通じるものは、作品以外の情報によって鑑賞しているということです。本来、作者名なしでも良い句こそ名句である、と。

個性を超えた普遍的な詩は、作品だけがあれば良い。

詩が無名であることで、真に心に響くということもあるでしょう。

このように無名の精神で詠もうという意思は、長い句作人生を歩んだ方の境地なのでしょうね。

…なんていいつつ、俳句部のような場では、詠み人を知っているからこその解釈の楽しみもあります。
 

今回の句の中でも、作者の人柄を知っていることで句の真意(闇解釈でしたが…)が分かるものもありました。こういった場では、無名でも良し、知って尚良し、みたいな句は面白いですね。


 

今月の作品


 

「新年詠」

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獅子舞のとうに忘れたアラビア語(松竹梅)

歌かるた札を摑みて静座かな(紙の舟)


 

父に里芋の煮物を勧められ(ぎーむー)

連れ行きしズボンに去年の米付きたる(のん)

去年より小豆の余る善哉忌(藤風)
 

凧上げの児も見あたらず昼さがり(陽菜)


 

初日の出まぶしい夢に笑顔出る(伸)


 

石室へ陽の流れ入る三日かな(薬夏)


 

2月のお題

今年は2月3日が立春となります。

(なんと124年ぶり!らしいですね)

お題は

「立春」 「春浅し」 「春寒」

こちらの季語を使って一句以上、でお願いします。


 

次回の俳句部は2月13日(土)です。

ネフネの「ポレポレ俳句部」は毎月第2土曜日、13:30~15:30に開催しています。(現在は感染症対策のため30分短縮しています)

講師は俳人の松本薬夏さん(https://twitter.com/you721)。
 

開催場所:NEFNE(大阪府寝屋川市八坂町13-11)

状況によりオンラインを併用することもあります。

参加希望のかたはメール(info@nefne.website)いただけると嬉しいです。

俳句初心者歓迎です!