6月12日、ポレポレ俳句部でした。
今年は随分と早い梅雨入りでした。
そのせいか、例年通りの時期に田んぼにカブトエビを獲りにいったのですが、1匹も姿が見えず。
出遅れたようです。
「まだいるはずなのに~」なんて言いつつも、考えてみれば生き物たちには暦があるわけでもなく、私たちよりずっと気候の変化に敏感ですね。
(しょうがないのでおたまじゃくしを連れて帰りました)
6月のお題
さて、今月のお題は
「昼寝」です。
傍題は午睡、三尺寝、昼寝覚など。
当季雑詠でもいいのですが、今回はなるべくみんなお題で出しましょうとのことでした。
個々の世界観や詠み方などの違いを比べられる利点があるから、ということでしたが、それを実感する回となりました。
あえて「言わない」
詠みたい思いが強いとき、景を伝えようと情報をたくさん入れてしまうことがあります。
講師の薬夏さんから、「語りすぎる」句にならないようにと教わりました。
俳句は「言い述べない文芸」とも言われます。
全てを言い切らずに、余白を残す。
余白は、鑑賞者が想像を巡らせられる部分となります。
伝えることと、あえて伝えないこと。
この絶妙なバランスは長年かけて育んでいくものだということです。
難しいですが、これこそ俳句の醍醐味でもあると感じます。
「食べなかった《かき氷》」は季語か?
ひとつの句をきっかけにして、
「体感しなかったものが季語として機能するか」ということについて、みんなで意見を交わしました。
俳句では、絵や歌に描かれたものなどは季語にならない、または弱いとされているようです。例えば「絵に描かれた朝顔」や「りんごの歌」など。
同じように「体感しなかったこと」は季語として機能するのか?ということです。
俳句部の中だけでもさまざまな意見が出ました。
五感で体験したことがよいと思う、絵手紙には季節のものを描くのが当然だからいいのでは、季語の意味にそってないことにならないか、思いを巡らすこと自体に強い思いがあるからいいのでは…などなど。
自分と他の方と感覚も違い、それが知れて面白かったです。
薬夏さんが言われるには、このテーマはどこでも終わりのない論争になりがちとのこと。
俳句の季語の役割は大きく、立ち止まって考えることは大事なことです。
ただ、そこばかり考えすぎることはやめましょうと。
最終的には、個々人の信念に従って描くこと。
成り立つかどうかはその句の完成度によりますし、「句として感動する」のであれば、これが一番大きいのでは、と話されました。
今月の作品
題詠「昼寝」
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見付かりし砂時計置き昼寝かな(紙の舟)
えびピラフ食べて天使と昼寝する(松竹梅)
昼寝覚知るべき顔を見つめおり(のん)
師に恋の試練を与えられ昼寝できず(てっちゃん)
縁側の養い子の声覚めぬ午睡(藤風)
幼子のてのひらのごと昼寝覚(薬夏)
7月のお題
そろそろ竪題に挑戦!ということで
次回のお題
「螢」です。
講師の薬夏さんより
「竪題(たてだい)とは、漢詩や和歌などにも詠まれる正式のお題のこと。古来より大切に育まれてきた季語ですが、無理に和歌などに寄せたりせず、あくまで俳句ならではの切り口で詠みましょう。」
次回の俳句部は7月10日(土)です。
ネフネの「ポレポレ俳句部」は毎月第2土曜日、13:30~15:30に開催しています。(現在は感染症対策のため30分短縮しています)
講師は俳人の松本薬夏さん(→Twitter)https://twitter.com/you721
開催場所:NEFNE(大阪府寝屋川市八坂町13-11)
状況によりオンラインを併用しています。
参加希望のかたはメール(info@nefne.website)またはSNSでご連絡いただけると嬉しいです。
俳句初心者歓迎です!
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